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なぜ私は、七虹やメタふれんずの世界を語るのか

まだ知らない自分に出会うために


人の心は、一度会っただけではわかりません。

明るい人だと思っていた人が
誰にも見せない寂しさを抱えていたり


気が強そうだと感じた人が
本当は、ずっと恐怖心を抱いたまま生きていたりする。


何度も会い、さまざまなことを語り

同じ時間を過ごしていくうちに
最初は見えなかったその人が少しずつ見えてきます。



それでもその人の全てを知ることはできません。

長く一緒にいる人でさえ
「こんな顔をするんだ」と驚くことがあります。

自分自身ですら
初めて抱く感情に戸惑うこともあります。


私は、絵もそうであっていいんじゃないかと思っています。



一度見て、感じて、感想を持って帰るのではなく
その絵を少しずつ知りながら、何度も出会い直していく。

だから私は、作品を描くだけで終わりたくないのです。



一枚の絵に描けるのは、ほんの一瞬



七虹はいつも自由なわけでも、強がりなわけでもありません。
勇気がある日もあれば、怖い日もある。

好きなものを貫く強さが孤独につながることもあります。

メタふれんずも同じです。

それぞれが違う性格で
同じ出来事に出くわしても
みんな感じ方が違うぶん、表現が変わります。


けれど1枚の絵にかけるのは、ほんの一瞬の部分です。


笑ってる七虹も、笑う前の時間があるし、
強そうに立っている日も
本当は逃げたかった瞬間があったのかもしれない。

大切にしているものには理由があり、
どうしても譲れないことの奥には
まだ誰にも見せていない気持ちがあるかもしれません。

絵には描かれなかった昨日があり
その一枚の後にも時間は続いていきます。


七虹は何に腹を立て、どんなときに強がるのか。
誰にも見られていないところでどんな顔をするのか。


私はそんなキャンバスのには収まりきれない時間を
物語や言葉の中で少しずつ表現しています。


けれどそれは作品の答えを伝えるためではありません。
むしろ知ったあとにもう一度絵を見てほしいのです。

「なんでこの表情なんだろう。」

「七虹なら本当にこうするだろうか。」

さっきまでなんともなかったことが急に気になり始める。
明るく見えた作品に、ほんの少し寂しさが混じる。


知ることで答えに近づくのではなく、
前にはなかった問いが生まれる。

私はそんな世界観を作りたいと思っています。


もちろん七虹のことを何も知らない人が
初めて作品を見た時でも楽しめて、
そこから何かを感じれる作品でありたい。

だから絵の中には、すぐに言語化できないような感情の余白を残しています。

視線の先、色の重なり、足元、表情の中にある明るさだけじゃないもの。

考えて描いたものもあれば、
描いている時は気づかず、後から見て初めて気づくものもあります。

絵を目の前にした時、その人の人生が映る作品を作りたい。

自分で描いた絵なのに、時間が経ってから初めて気づくことがあります。

描いていた時、なぜか心惹かれて選んだ色や、なぜ残した余白を
後になって見返してみると
その頃の自分がうまく言葉にできなかった気持ちまで
絵の中に残っているように感じることがあります。

忘れたつもりでいた記憶や怖かったこと、守りたかったもの。
もう気にしていないと思っていたことも
自分が思うほどキレイには消えず、色を選ぶときや線を引くときにに知らないうちに滲むのかもしれません。

自分で描いたからといって、
その絵の中にあるものを、すべてわかっているとは限らないのだと思います。

これから私がまだ知らないところへ行き、知らない人と出会い、喜んだり傷ついたりする中で
今まで気づかなかったことに気づく日もあると思います。

大切にしたいものが増えたりずっと正しいと思っていたものを疑ったり
昔はわからなかった誰かの気持ちが少しだけわかることもあるかもしれません。

そうして私が変わっていけば、作品もきっと変わっていきます。

七虹が選ぶ行動も、立っている景色も、
作品の中に流れる空気も変わるかもしれない。
今の私にはまだ描けない世界観や、
まだ知らない七虹の一面が
これからの人生で生まれてくることもあると思います。

何年か後で昔の作品を見返したとき、描いた頃には気づかなかった自分の気持ちを
ずっと後の私が見つけることもあるかもしれません。

人は自分自身のことでさえ、全てを知ることは難しいと思います。
生きて迷って誰かと出会い、何年も経った後でようやくわかる気持ちもあります。


それなら作者も作品の間にも
そんな時間があっても良いのだと思います。

そしてそれは絵を見る人も同じです。

絵を見る人にもその人だけが過ごしてきた時間があります。

あるひとは七虹の笑顔を見て楽しそうと思うかもしれない。
けれど別の誰かは同じ笑顔を見て
なぜか少し寂しくなるかもしれません。

そこに生まれたものも、その人だけの大切な感じ方だと思っています。

なぜ胸が苦しくなったのか、なぜ寂しくなったのか、なぜもう一度見たくなったのか。

その人自身にもすぐにはわからないことがあると思います。


なぜなら私たちはそれぞれが生きてきた中での経験や記憶を通して絵を見るからです。

これまで歩いてきた道も、誰にも話していないことも、まだ自分でさえ言葉にできていない気持ちも、知らないうちに絵に影響しているのだと思います。


だから同じ作品を見ても同じものが見えるとは限りません。

私はそこに絵の面白さがあると思っています。

描いた私自身もまだ気づいていなかったものを見る人が見つけるかもしれない。
そして見る人も、一枚の絵の前で、自分の中にこんな気持ちがあったことを初めて知るかもしれません。



作者の中にあったものと、見る人の中に積み重なってきたものが
絵の前で思わず触れ合うことがある。

私はそこに生まれるものまで自分の答えで決めてしまいたくありません。
七虹のことは深く知ってほしい。でもその先で何を感じるかは見る人に残しておきたいのです。

何を大切にし、なぜ譲れないことがあるのか。
物語や言葉を通して知っていくほど、最初には見えなかった七虹が少しずつ見えるようにしたい。


けれど、知れば知るほど、すべてがわかってしまう世界にはしたくありません。

どこまで伝えれば、世界はもっと深くなるのか。
どこから先を残せば、見る人が自分の心で入ってこられるのか。

その境目を、これからも考え続けるのだと思います。

七虹のことを知ったからこそ前には気にならなかった表情に立ち止まる。
物語を読んだからこそ、絵から続くものを想像できる。

七虹がどんな性格かわかった先で、また新しい問いが生まれる。

知ることが答えになるのではなく、何度も見たくなる理由になってほしいのです。


昔住んでいた町を久しぶりに歩くと、
子どもの頃には大きく見えた坂道が、
驚くほど短く感じることがあります。
町はそれほど変わっていないのに、
自分が変わったことで、同じ景色が違って見える

私は、絵にもそんな時間があってほしいのです。

色も線も、七虹の表情も変わっていない。
それでも、昔は自由に見えた表情の中に初めて怖さを見つけたり、
寂しいと思っていた景色が、今は少しだけ優しく見えたりするかもしれません。

絵は変わっていません、

けれど見る人はもうあの日と同じではないからです。

私自身も、七虹も、作品を見る人もそれぞれの時間を生きていく。

その時間の中で何度でも自分の心に触れ、出会い直せる世界を私は作りたいと思っています。

私には、描けないものがある

私はこれからも、七虹のことをたくさん話すと思います。

どんな時に立ち止まり、何を選び、何を選ばなかったのか。
何気ない1日の中で七虹がどんなふうに世界を見ているのか。
メタふれんずのことも少しずつ伝えていきます。

でもひとつだけ、私には描けないものがあります。

あなたが七虹の前で何を思い出すのか。

誰の顔が浮かび、心がギュッとなるのか。

なぜ笑っている絵の前で泣きたくなるのか。

それだけは私にはわかりません。

もしかすると、あなたもすぐにはわからないかもしれません。

けれど何年か後、ずっと暮らしの中にあった七虹の絵の前でふと足が立ち止まる日が来たら。

毎日見ていたはずなのに、今まで気づかなかった何かが見えたなら。

その時あなたが見つけるのはまだ知らなかった七虹でしょうか。

それとも。
まだ知らないあなた自身でしょうか。