子どもの頃は、大人になれば
何でも分かるようになると思っていました。
何が正しいのか、何を選べばいいのか、
自分はどこへ向かえばいいのか。
そういうことも自然と分かるようになり、
迷うことも不安になることも
少なくなるのだと思っていました。
けれど実際に大人になってみると、
思っていた景色とは少し違いました。
分からなかったことが
分かるようになったこともたくさんあります。
けれどそれ以上に、答えのないものが
思っていたよりたくさんあることを知りました。
人生には正解が
ひとつではないことがたくさんあります。
夢を追いかけることも正しいですし、
安定を選ぶことも正しい。
挑戦することも正しいですし、
立ち止まることも正しい。
どちらを選んでも間違いではないからこそ、
時々何を信じればいいのか分からなくなります。
子どもの頃は、
大人はみんな答えを持っているように見えていました。
迷うこともなく、
自分のことをちゃんと理解していて、
進むべき道も分かっているように見えていました。
でも本当は違いました。
大人になっても迷いますし、不安になります。
自分が何をしたいのか
分からなくなる日もありますし、
自分のことは知れば知るほど
分からなくなっていくような感覚さえあります。
そんなことを考えていると、
子どもの頃の自分は
案外すごかったのかもしれないと思うことがあります。
好きなものを好きと言えましたし、
気になるものには迷わず近づいていました。
面白そうだと思ったことには夢中になり、
心が動いたものを疑うこともありませんでした。
けれど大人になると、
いつの間にか考えることが増えていきます。
時間のことや、お金のこと。
責任や周りの目のこと。
それは決して悪いことではありません。
大人になるということは、
自分以外のものも
大切にできるようになることだからです。
けれどその途中で、
少しずつ見えなくなってしまうものもあります。
それは、自分が本当は何に
心を動かしていたのかという感覚です。
私は時々、子どもの頃の自分に会えたら
何と言われるだろうと考えます。
きっと思っていたより頼りなく見えるでしょうし、
迷ってばかりいるようにも見えるかもしれません。
でも、それでいい気もしています。
なぜなら今は、大人になるということは
答えを知ることではなく、
答えのないものと一緒に
生きていくことなのかもしれないと思うからです。
分からないことがあっても進むこと。
迷いながら選ぶこと。
不安を抱えながら信じること。
そして、自分の中に残っている
子どもの頃の気持ちを見失わないこと。
私には目指しているものがありますし
描きたいものがあります。
届けたい世界があります。
けれど、そこへ辿り着くまでに
どんな世界に出会うのかはまだ分かりません。
何を見つけるのかも、
どんな人に出会うのかも、
どんなふうに変わっていくのかも分かりません。
それでも進んでいきたいと思っています。
子どもの頃は、大人になれば
何でも分かると思っていました。
けれど今は、分からないまま進めることこそ、
大人なのかもしれないと思っています。
もしかしたら子どものは
何も知らないのではなく、
自分の心が動いたものを信じるのが
上手なのかもしれません。



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