私は「なんか」という言葉が好きです。
人に何かを伝える時には
あまり便利な言葉ではありません。
どこが好きなのかと聞かれて
「なんか好きなんだよね」
と答えても説明にはなりませんし、
何が良かったのかと聞かれて
「なんか良かった」と答えれば、
きっと相手は少し困ってしまうと思います。
それでも私は、
その言葉の中にしか入らない気持ちが
あるような気がしています。
好きな映画があります。
何度も見返してしまう映画です。
どうしてそんなに好きなのかと考えれば、
映像が綺麗だからかもしれませんし、
物語が面白いからかもしれません。
登場人物に惹かれたのかもしれませんし、
音楽が心地良かったのかもしれません。
けれど本当は、
そのどれも少し違う気がしています。
なぜなら私がその映画を好きになった瞬間、
そんな理由はまだ何ひとつ知らなかったからです。
ただ、なんか好きだったのです。
私は時々、本当に大切なものほど
言葉になるのが遅いのではないかと思います。
忘れられない絵を見た時もそうですし、
人生を変えてしまうような本に出会った時もそうです。
誰かの言葉に救われた時もそうでした。
その瞬間の気持ちを
上手く説明することはできません。
ただ心だけが先に動いてしまい、
自分でも理由が分からないまま、
その何かに惹かれてしまうのです。
そして不思議なことに、
私たちは後になってから理由を探し始めます。
色が好きだったのかもしれない。
考え方に共感したのかもしれない。
物語に感動したのかもしれない。
そうやって少しずつ説明できるようになります。
けれど私は、
その理由を見つける前の気持ちの方が
大切なのではないかと思っています。
言葉にできない気持ちこそ、
本物なのかもしれないからです。
説明できるようになった時には、
もう頭で理解した後なのかもしれません。
けれど心が動く瞬間は、
いつももっと早くやって来ます。
理屈よりも先に、価値観よりも先に、
自分でも気づいていなかった何かが
反応してしまうのです。
だから私は、「なんか好き」という感覚を
軽いものだと思ったことがありません。
むしろ人生を変えるような出会いほど、
その形でやって来る気がしています。
それまで当たり前だと思っていたことが揺らぎ、
信じていたものの見え方が変わり、
自分でも知らなかった気持ちに
出会うことがあります。
大げさではなく、生き方そのものが
少しずつ動き始めることさえあります。
そして振り返ると、
人生の中で本当に大切だったものほど、
最初は上手く説明できなかった気がするのです。
創作も少し似ています。
私は絵を描く時、
最初から答えを持っているわけではありません。
むしろ説明できないものの方に惹かれます。
なんか気になる色があり、
なんか忘れられない表情があり、
なんか頭から離れない物語があります。
そういうものを追いかけているうちに
少しずつ世界が形を持ち始め、
気づけばそこに世界が生まれ、
物語が生まれ、
キャラクターが立ち上がっています。
だから私は今でも、
「なんか」という言葉を信じています。
曖昧な言葉に聞こえるかもしれません。
けれど人生を変えるような出会いは、
いつもその言葉の中からやって来る気がするのです。
なんか好き。
その小さな感覚の中には、
まだ見たことのない世界へ続く扉が
隠れているのかもしれません。



コメント