大人になると、遠回りを嫌がるようになります。
できるだけ失敗をしたくありませんし、
無駄な時間も使いたくありません。
もし同じ場所に辿り着けるのなら、
なるべく早く、なるべく効率よく進みたいと思います。
けれど本当は、
遠回りそのものが嫌いなわけではありません。
むしろ私は、気になるものを見つけると
立ち止まってしまいますし、
面白そうだと思ったら
ついそちらへ向かいたくなります。
それなのに、大人になると不思議なことがあります。
気づかないうちに最短距離を探しているのです。
少しでも早く辿り着く方法はないだろうか。
失敗しない方法はないだろうか。
もっと効率よく進めないだろうか。
そんなことを考えている自分がいます。
けれど人生を振り返ると、
本当に大切だったものほど、
最短距離の上にはなかった気がするのです。
会う予定ではなかった人。
行く予定ではなかった場所。
やるつもりではなかったこと。
その時は遠回りだと思っていた出来事が、
気づけば今の自分を作っていたことがあります。
子どもの頃は、もっと寄り道が得意でした。
道端の虫が気になれば立ち止まりますし、
面白そうなものを見つければ
目的地を忘れて夢中になります。
大人から見れば無駄な時間だったかもしれません。
けれど子どもの頃は、
目的地へ向かうことよりも、
途中で見つけるものの方を
大切にしていたような気がします。
大人になると、それが少しずつ逆になります。
目的地を見失わないようにして
時間を無駄にしないようにします。
そして正しい道を選ぼうとします。
もちろん、それは悪いことではありません。
大人になるということは、
自分だけではなく、
周りの人や未来のことも考えながら
歩いていくことだからです。
けれど私は時々思うのです。
本当に人生を変えるような出会いは、
そもそも探していたものではないことが
多いのではないかと。
親友を探していたわけではないのに、
気づけば何年も隣にいてくれる人がいたり
人生を変える本も、探していた本ではなく、
たまたま手に取った一冊だったりします。
忘れられない景色も、
計画して見た景色ではなく、
道に迷った先で出会った景色だったりします。
そう考えると、遠回りというのは不思議です。
早く着くための道ではないのに、
振り返ると大切なものは
その途中に残っていたりします。
そしてもっと不思議なのは、
遠回りをしているうちに
目的地そのものが変わることです。
最初は別の場所へ向かっていたはずなのに、
途中で出会った人や景色や出来事によって、
本当に行きたい場所が見つかることがあります。
大人になると、遠回りが怖くなります。
時間には限りがありますし、
失敗をやり直すことも簡単ではありません。
だから私たちは、
できるだけ正しい道を選ぼうとします。
けれど本当は、遠回りそのものが
怖いのではないのかもしれません。
怖いのは、その道がどこへ続いているのか
分からなくなることです。
意味があるのか分からない。
結果につながるのか分からない。
いつ辿り着くのかも分からない。
だから不安になるのです。
けれど振り返ってみると、
人生で意味があったものほど、
その最中は意味が分からなかった気もします。
振り返ると、私の人生も
そんなことの繰り返しでした。
あの時は無駄だと思っていた時間もありました。
失敗だったと思っていた出来事もありました。
もっと早く気づけたのではないかと思うこともあります。
それでも今の自分を作っているものを
ひとつずつ辿っていくと、
その多くは最短距離の外側にあります。
だから今は、遠回りを怖がりすぎなくても
いいのかもしれないと思っています。
もちろん誰だって失敗はしたくありませんし、
できることなら上手く進みたいと思います。
けれど本当に怖いのは、
遠回りをすることではないのかもしれません。
本当に怖いのは、
寄り道をする前に諦めてしまうことや、
自分の心が気になったものを
見ないふりをしてしまうことなのかもしれません。
子どもの頃は、寄り道の理由なんて考えず
ただ気になったから近づいていました。
もしかしたら私たちが忘れてしまったのは、
その素直さなのかもしれません。
そして人生で大切なものほど、
案外そんな場所で待っているのかもしれません。
だから私は、できるだけ正しい道を探すより、
自分の心が気になったものを
見失わないでいたいと思っています。
もしかしたら今歩いているこの道も、
いつか振り返った時には
遠回りだったと思うのかもしれません。
それでも私は、その時の自分が
選んだ道を好きでいたいのです。
だから今日も、
後悔のない遠回りをしている途中です。



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